チクリと刺さるトゲのような思い
お盆ですね
いかがお過ごしでしょうか
つい先日、大切な方を想い祈りを捧げるイベントでおやつを担当させていただきました。
先祖に想いを馳せるお盆もちょっと意識したイベント。
製作の数日前から私のなかにはずっと『供養』というキーワードがきていたので
亡き母のことを考えながら過ごしていました。
おやつを作りながら私にやってきた事は
母が私のなかにいるということ
それは良くも悪くも
母が私のなかにいるということでした
というのも
私のなかには
どうして私はそう思って(感じて)しまうんだろう
と、自分に対して思うことがあります
思い返してみても
その感情に辿り着くきっかけを自分のなかにみつけられないので
だから自分がその感情になることがとても不思議だし、そしてその感情は心地よいものではないということが長年自分の内側を見つめてきてわかってきています
きっかけとなる体験がないなら
すなわちそれは
親や家族、または他人の価値観の刷り込みの可能性が高いのではないかとも、ここ数年の体験の中でわかってきたことでした
一緒に生活している中で自分以外の誰かの価値観を、自分の価値観だと思い込んでいたり
お腹にいる間に、母体の感情を受け取っていたり
特に家族のような近い存在で、なおかつ相手を大切に想っていれば思っているほど、相手の価値観や感情が自分の中に入ってくる
血の繋がりは良きも悪きも
感情や価値観、何を大切にして何を良いと思い何を悪いと思うかまで濃く繋がって流れてきて、それは時にあたかも自分自身のものであるかのように錯覚する
そのことはすでに理解していたので
今回、『供養』というキーワードがやってきた時、自分の中にある、けして心地よいとは言えない感情についてちょっと潜ってみることにしたのです
潜ってみてわかったこと
それは母の想いだったこと
母の中の、ある満たされなかった想いが
私の中でも同じように発動し、
私も同じように満たされない想いを抱え
それが今の私に訴えてきている
ということでした
なるほどなーと思い
そうかぁそうだったんだね
そんな想いを感じてたんだね
うんうん
それはいやだったよね
とその想いに気づいて
理解して、受け止めた時
供養ってもしかしてこういうこと?
と思ったのです
先祖がこの世を去る時に置き去りにしてしまった様々な想いを
今生きている子孫が、気づいて理解する
(中には理解できないものもあるので、そんな気持ちだったんだと気づくだけでもオッケーだと思うけど)
それが先祖の供養に繋がるのではないかと
もしかしたらそのために
私たちの中にチクリと刺さるトゲのような感情を抱かせて
気づいて!とサインを送ってきているのではないのかなーと思ったのです
あくまで私の見解ですけどもね。
でも、そうじゃないと説明つかない感情って
あると思うんですよね
さて、お盆です
今年は母と、お互いのこれまでの思いを打ち明けられそうで楽しみです
イベント関係者の皆様
ここまで感情を掘り下げる機会をくださりありがとうございました!


