自分を愛すること、愛おしむこと。
昨年のことになるんですけど、
蜜蝋でディッピングキャンドルを作る機会がありました。
冬至まえの『灯す会』の中で作ったんですけど、
シンギングボウルの瞑想からはじまり
キャンドルを作り
トーニングで自分の内側に光を灯しととのえて
冬至からまた切り替わる新しい時を過ごす、そのための会でした。
ディッピングキャンドルって私は始めての経験だったんですけど、芯となる糸を溶かした蜜蝋の中にぽとんと入れて引き上げる。

それを何度も繰り返していくんですけど、そしたら芯のまわりに蜜蝋の層が何層にもなっていって、キャンドルができあがる。

この時は一本の糸で2つのキャンドルを作りました。
2つのキャンドルを繋げている糸を切る
ことに「へその緒を切る」「生まれる」「誕生」等の意味がつけられていて、
冬至が近いこともあって
「2つでひとつ」「陰陽」等の意味も加わり
ちょっと神聖なキャンドル作りだったのです。
そして切り離したキャンドルを灯す時間がやってきました。
2つのうちのどちらかを灯すのです。
どちらにしようか。
別にどちらでもいいんですけどね。
でもこの時、ちょっと選んじゃったんですよ。
実は2つのうちの1つの形が好きではなかったんです。
ちょっといびつで、なんかヘンテコ。
形良く見える角度はないかなー?って
キャンドルを回して探してみたりして。
でも無いなー
どこからみてもヘンテコ
どこか無いかなー?
そんなことをしていたら
はっ!とした瞬間がありました。
自分自身と重なってしまったのです。
これって
自分の中の
自分がいやだと思ってる部分
いびつでヘンテコな部分を隠して
良く見てもらえる所はどこかないかと
探そうとしていることと重ならない?
同じなんじゃない?
そんな自分に気づいたのです。
まだ認められてなかったんやなぁ。
そのことをこの時知ってね
そっかぁー
って思ったんです。
そんなのじゃ駄目だ
と否定するわけでもなく
早く認めなきゃ!
と焦るでもなく
ただただ、現時点の自分を知って
そっかぁーと
思ったんです。
でね、
どちらのキャンドルを灯すか選ぶんですけど、私はそのいびつな方のキャンドルを灯すことにしたんです。
なぜか?
灯して昇華してしまおうと思ったんです。
火を灯したら、
固体から液状になって、最後は気体になって形がなくなるじゃないですか
だからね、いびつな部分を燃やして成仏させてあげようと
私の頭は考えたわけです。
ところがです。
いざ火を灯すと
すぐに
「消しましょう」と声がかかったのです。
え?
ずっと灯し続けるんじゃないの?
え???
昇華できないやん
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·
会はトーニングへと進んでいくんですけど
私の心は穏やかではないのです。
おや?え?そうなの?え??
と「?」が何度もやってきます。
「?」がぐるぐるして
そして、気づいたのです。
また、いびつな部分を消してしまおうとした自分に。
「いや、だから。
消すんじゃなくて、認めるんだってば。
その部分も、自分の中の大切な一部分なんだから、持ってていいんだってば!消しちゃだめなんだってば!!」
頭の中から
そんなだめ押しの声がして
その声に我に返った私の心は
ようやく落ち着きを取り戻したのです。
陰と陽の
どちらかだけしかないなんてことは
ありえないのです。
自分の中の陰も陽も
その2つがあるから
自分という存在でいられて
どちらかに偏ったら
バランスが崩れて
心も体も壊れていってしまうのです。
そんなことはもうお腹いっぱいなくらいに理解はしてるつもりだったけど
まだ理解が甘かったようです。

いびつでヘンテコな部分も
それも私だ
そんな一部分を持った私も
自分なりに
一生懸命に生きている
そう思ったら
自分のことをちょっと可愛く思えてくる
いびつでヘンテコなりに
頑張ってる姿
ちょっとは応援したくなってくる
そうやって
自分自身を認めて愛おしむことができていったら、自分の内側が平和になっていくのではないか。
自分自身が平和になったら自分への攻撃がなくなる
そしてそれは他者への攻撃も無くなることを意味する
『世界平和は自分平和から』
という何年も前に聞いた言葉が
重みを増してくる
愛って
やっぱりすごい
最強やん
平和のために
自分をもっと愛そう
内も外も
全部を愛おしんでいこう。
そう想えたキャンドル作り。
素敵な機会をいただけて
とてもありがたかったです。
一緒に過ごしてくれたみなさん
どうもありがとう。

そしてこのあとは
私が担当したおやつをみなさんに食べていただきました。
長くなるので、
次で書きますね。